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キャプテンコージの世界一周旅日記

カラカスの老婆

ベネズエラ カラカス

地図イースター島からサンチアゴに戻った俺は、すぐ次の日にはベネズエラの首都カラカスに飛んだ。ブラジルから陸路でベネズエラに入ることを諦めた時点で、同時に今回の旅ではギアナ高地やエンジェル・フォールに行くことも断念し、正直もう特にベネズエラに行きたい理由もなかった。南米はコロンビアから出る予定だったので、そのままボゴタに飛んでも良かったのだが、「とりあえず行っておかないと」との思いで俺はカラカスに飛んだ。

南米でも最も危険な街と言えば、コロンビアのボゴタが思い浮かぶ。コカイン王国、マフィア、ゲリラ、誘拐など、恐いイメージには事欠かない。ブラジルのサンパウロやリオ・デ・ジャネイロも捨てがたい。だが最近旅行者の間で最も支持率が高いのは、ベネズエラの首都カラカスだ。

カラカスでタクシーに乗って、身包み剥がされずに目的地に着くことができたらラッキーだという定評だった。中心地では夜になると店もレストランも家も全てが閉め切ってしまい、人っ子一人歩いていないとも聞いていた。

実際、犯罪件数の統計によると、殺人事件の人口比率は日本の50倍、強盗事件は60倍となっている。しかもその20%以上が首都カラカスで発生しているというのだ。さらにその約90%が銃器を使用した犯罪らしい。。。

もう旅も終わりに近付き、南米ももうすぐ出なければならないこの時に、どうしてまたそんな危険な街に特に行きたくもないのにわざわざ行くのかと聞かれたら、それはやはり「とりあえず行っておかないと」としか答えようがない。変なバックパッカー根性とでも言うのだろうか。

カラカスの国際空港に着いたときはもう既に日が暮れかかっていた。なんとしても明るいうちに市内に着き、安全そうな宿を探したい。だが、今回はイースター島で平和ボケをしてしまったせいか、全く街や宿の情報を集めずに来てしまった。

とにかくタクシーは危険だとのことだったし、空港リムジンバスなどという立派なものも見当たらなかったので、普通の市バスに乗った。大抵空港から市内に向かうバスでは、旅行者も何人かはいるものだし、メインのバス停では多くの人が降りる。だが、乗客は思いっきり皆ローカルで、それらしいバス停で降りたのは俺を含めてほんの数人。しかもその人達も降りたとたんにどこかに消えてしまった。もう日は暮れ、辺りはすっかり暗くなっていた。そして俺一人。最悪だ。。。

とりあえず地図でなんとか今いる場所と方角だけ確認した。普通安宿というのはあるエリアに集まっているものだが、ガイドブックを見る限りそんなところはなく、安宿自体が少ないようだ。俺はなんとか歩いて行けそうな距離にある一つの宿に狙いを定め、そこに向かって歩き出した。

俺が歩いていたのは大きな道路の脇の歩道で、人通りは少なかった。たまにすれ違う人は皆犯罪者のように見えてくる。「こいつは本当に俺を襲って来るんじゃないか?」という殺気のようなものを感じた男がいた。周りには誰もいない。俺は思い切ってこっちから話しかけた。「○○に行きたいんだけど、どっちか分かる?」無理して笑顔を作ってみた。普通に「あっちだよ」と教えてくれた。背中のバックパックは重たかったが、俺はできる限りの早歩きで言われた方向に向かった。

ようやく目指す宿を発見した。これで助かった。ドアの外側の鉄柵には頑丈そうな鍵がかかっていた。中にいた人を呼び、部屋は空いているかと尋ねた。「空いてない」と言われた。

そ、そ、そんなー!それは困る。今更こんなところで放り出されてもまじで困る。そこをなんとか空けてくれと頼んだのだが、「空いてないものは空いてない」と言われた。じゃあ近くに安宿はないかと聞くと、一軒だけあるという近くの宿を教えてくれた。

教えられた宿に行くと、今度は鍵付きの鉄柵の代わりに巨大なマッチョの用心棒がいた。部屋は空いているかと尋ねると、その用心棒はしばらく黙ったまま俺のことをじろじろ見て、「日本人か」と聞いてきた。そうだと答えると、マッチョは「空いてるよ」と言った。

久しぶりのシングルルームだった。バックパッカー向けの宿というよりは、連れ込み宿と言った感じだった。だがたまには誰もいない部屋でのんびりするのもいい。俺は荷物を置き、ベッドの上に仰向けになってタバコを吸った。体中の緊張が溶けていくような気分だった。

ふと、腹が減っていることに気付いた。フロントに行き、近くに安くてうまい食堂はないかとマッチョに尋ねると、「この辺は危ないからどの店もこの時間にはもう閉まってるよ」と言う。まだ9時前だ。いつものごとく手ぶらになると強気になる俺は、外に出て宿の周りを散策してみた。怪しげなスナック一軒を除いて他に開いている店はなかった。俺は宿の部屋に戻ってビスケットを食べ、つまらないテレビを見ながら長い夜を過ごした。

写真数日カラカスに滞在したが、旅行者らしき人と出会うことはなかった。ベネズエラ建国の父である、英雄シモン・ボリーバルの博物館に行った。ここは恐らくカラカスでも随一の観光スポットだとは思うのだが、館内は閑散としており、訪れているのもベネズエラ人の親子連れくらいだった。

全く友達のできなかったこの街で、唯一できた顔見知りと言えば、ある一人の老婆だった。カラカスに着いた翌日、俺は道端でマンゴーなどを売っているインディヘナの老婆から果物をいくつか買った。一つ見たこともない果物があり、どうやって食べるのかと聞くと、老婆はその場で皮を剥いてくれた。南国の香りと濃厚な甘味の果物だった。俺が「うまい!」と言うと、老婆はうんうんと頷きながら笑った。それ以来、俺がそこを通るたびに笑いかけてくれるようになったのだ。

この大都会で、この人だけが俺のことを知ってくれている。そう考えると、とても大切な人のように思えてきた。ずっと一人ぼっちだった俺は、用もないのにその老婆の前を通ったりしていた。その度に笑顔をくれた。なんだかその瞬間だけがこの街で俺の存在を確かめられるような気がした。

カラカスを発つ日、宿を出た俺は最寄りの駅から地下鉄に乗らず、一つ次の駅まで重たいバックパックを背負って歩いた。その途中に果物売りの老婆がいるのだ。俺は長距離バスでの移動に備えて、バナナを数本買った。老婆は俺の格好を見て気付いたのだろう。バナナを渡すときに、「ブエン・ビアヘ(良い旅を)」と言ってくれた。

この時俺は、「やっぱりとりあえず来てみるものだな」と思った。