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キャプテンコージの世界一周旅日記

中東問題を考える

シリア クネイトラ、ヨルダン アンマン

ゴラン高原。シリア、レバノン、ヨルダン、イスラエルに囲まれたこの土地は、その地理的条件により、これまで何度もイスラエルとアラブ諸国の戦争の舞台になってきた。

そのゴラン高原にあるクネイトラという所に、シリア内務省の許可を取って、公認ガイド付き添いのもと訪れた。クネイトラ周辺は現在、国連の監視下にあり、ニュースでよく見るUNと大きく書かれた国連のワゴン車が走っていたりして、物々しい雰囲気が漂っている。

何箇所かのチェックポイントを通り、クネイトラに着いた。その瞬間、俺は驚愕した。民家、学校、モスクなど全ての建物がめちゃくちゃに、徹底的に破壊されているのだ。国際政治的に非常に難しい状況にあるアラブを、これまでのほほんと楽しく旅をして来たが、ここへ来て初めて一つの現実を見た気がした。

その後、俺はヨルダンの首都アンマンへ入った。アンマンは現在、イスラエルとイラク両国への最もメジャーな玄関口であり、それぞれの国へ入る人、出て来た人が多く滞在している為、ホットな情報が集まるロケーションである。

イスラエルには現在、ヨルダンとエジプトから数箇所ずつ国境が開かれているのだが、唯一入国出国共にスタンプを別紙に押してもらえるのが、アンマンから近いキングフセイン大橋の国境だけになっている。

イスラエルから入国の証(イスラエル入国スタンプ、もしくはイスラエル国境におけるヨルダン、エジプトの出国スタンプ)があると、ヨルダン、エジプト以外のほとんどのイスラム国家で入国拒否を喰らってしまう為、アラブ圏を旅する旅人の多くはキングフセイン大橋をイスラエルの入出国に利用するのだ。

旅行者が多く集まる安宿では、よく情報ノートというものが存在する。大抵その情報の内容はビザ情報、交通情報、宿情報、お勧めスポット、食べ物や飲み物、ネットカフェの相場などの旅情報がメインなのだが、ここアンマンの宿の情報ノートは他の物とは大分色合いが異なる。そこにはイスラエルやイラク帰りの人達のレポートやメッセージが多く占められていた。

特に俺の目を引いたのは、イスラエルのパレスチナ自治区に行って来た人、実際にそこでNGOの活動に協力して来た人達のレポートだった。そこには悲惨なパレスチナ人達の現実が書かれていた。

日常的に行われている、イスラエル軍によるパレスチナ自治区に対する侵略、攻撃、殺戮・・・。そして行き場を失ったパレスチナ人、家族や恋人、友人を殺されたパレスチナ人、イスラエル軍の制圧の恐怖に耐えられないパレスチナ人による、唯一残された抵抗手段であり、世界に対する訴えである自爆テロ・・・。

これらのレポートと共に書かれているメッセージの多くは、少しでも多くの人にパレスチナにおける支援活動に協力して欲しい、現実を知り、彼らの声を聞いてあげて欲しい、メディアの情報操作に惑わされないで欲しいというものだった。

だが実際には、普段自分の国で生活している俺達にとって、本当の現実を知るという事はとても難しい。情報のほとんどをメディアを通して得ている為、どうしてもそこに情報操作が存在したら、それに影響を受けてしまう。

テレビのニュース番組でイスラエル軍のパレスチナ自治区における市民に対する攻撃シーンなんて、まず放映されない。だがエルサレムなどで自爆テロが発生すれば、爆破されたバスや死傷者の情報が放映される。そこに“何故”そんな事が起きているのか等の解説は一切ない。「○月○日、パレスチナ人による自爆テロがエルサレム市内で発生し、○人の死傷者が確認されました。」これだけだ。

そして、このニュースがアルカイダや、その他のイスラム過激派などによるテロ関連ニュースの直後に流されたら、見ている人々はどう思うのだろう。「全くイスラム教徒というのは、狂った恐ろしい奴らだ・・・」と感じてしまう人も多いのではないだろうか。

2001年9月11日、アメリカで同時多発テロが発生した時、まだアメリカ内務省が犯行をアルカイダに絞る何時間も前(確かテロ発生から数時間しか経っていなかった)にアメリカのメディアが流した映像は、アメリカ国旗を燃やして踊り回っているアラブの人々、ケーキにロウソクを立ててパーティーをしているアラブの子供達の映像だった。落ち着いて考えれば、それがテロとは何の関係もないVTRだという事はすぐに分かるが、あの混乱した状況の中で、その映像をニュースで見た人達は一体どう感じるだろう。

中東問題について、イスラエルとアラブ、どちらが善でどちらが悪かなどという事は、もちろん俺達に言う事なんて出来ない。そこには想像も出来ないくらい複雑な歴史、宗教、政治の問題がある。だが、メディアの情報だけで全てを判断するのではなく、現実を見つめる努力というのはするべきだろう。