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キャプテンコージの世界一周旅日記

カトマンズの親父

ネパール カトマンズ

地図ポカラからガードレールのない山道を快調に飛ばしたバスは、途中谷底に転落しているバスを2台ほど発見しつつも、無事ネパールの首都カトマンズに到着した。いつものごとく俺は一軒一軒覗いて値段を聞きながら宿を探していた。ある宿で1人の日本人の青年がいて、挨拶を交わした。彼の爽やかな笑顔に惹かれ、その宿に決めた。

彼の名前は岡本君。今回の旅はインドとネパールで9ヶ月を予定しているらしい。数年前にもインドとネパールを半年ほど旅したのだが、その時に一つの夢を持ち、今回はそのために戻って来たということだった。その夢とは、カーストにも入れない階級の子供達が通えるような学校を作るということであり、下調べと、協力者を探すというのが今回の旅の大きな目的だと言っていた。その話をするときの彼の目は、キラキラと輝いていた。

それまで俺の旅の楽しみ方というのは、宿で出会った旅行者と遊んだり、自然を楽しんだり、アトラクションのような感覚で異なるカルチャーを体験することだった。だが岡本君のスタイルは全くそれとは異なり、現地の人々と触れ合い、彼等に溶け込む旅だった。

岡本君は日本でヒンドゥー語をある程度話せる状態にまで勉強してきていた。タバコを買い、チャイを飲み、モモ(タレに漬け込んだ蒸し餃子のようなチベット料理)を食べる度に軽く言葉を交わし、同じ店に通ううちにその店の人や常連さん達と親しくなる。また彼は俺にこんなことを教えてくれた。

「ただ単に“ハロー”と挨拶するのと、ちゃんと両手を合わせてお辞儀をしながら“ナマステ(ヒンドゥー語で「こんにちは」)”と挨拶するのでは、彼等の接し方がまるっきり変わってくるよ」

写真実践してみると、その違いは明らかだった。しっかり彼等の言葉で挨拶をすれば、向こうも笑顔でちゃんと挨拶を返してくれる。その後の態度も全く違う。これはシンプルなことだが、俺にとってとても貴重な発見だった。俺も岡本君と毎日決まった店に通い、顔見知りになった人達と挨拶をして、取り留めのない話や冗談を交わし合うようになった。旅というものが、俺の中に入ってきた。

カトマンズで俺はモモにすっかりはまってしまい、岡本君とうまいモモ屋を捜してあちこちを食べ歩いた。大抵は外国人向けのレストランよりも、庶民のモモ屋の方がおいしくて格安だった。

そしてついに俺達は究極のモモ屋に辿り着いた。そこは細い路地を何本も奥に入った、決して外国人は来ないようなローカルな場所だった。家族でやっているらしく、モモを蒸しているお父さんの横で地べたに座ってお母さんや子供達が楽しげに具を皮で包んでいた。とにかくそこのタレが絶品で、多い日は1日に3皿食べたりもしていた。(昼1皿、夜2皿、合計30ルピー=約60円)

写真だがこのモモ屋ではいつものナマステ作戦が通用しなかった。笑顔で挨拶をしても、親父は俺達に決してニコリともしてくれない。「けっ、外国人がのこのこと来やがって」というような無愛想な顔のまま、無言で俺達のオーダーを取り、無言でモモをテーブルに置く。お代わりの時も会計のときもずっと無言だった。だが、俺達は毎日欠かさずそのモモ屋に通った。

1週間が経ち、いよいよ俺がカトマンズを去る日がやってきた。夕方発のバスだったので、宿をチェックアウトしてから馴染みとなったチャイ屋やタバコ屋に行ってお別れを言い、最後にまたそのモモ屋に岡本君と行った。俺達がいつものように店に入ると、俺のバックパックを見た親父の表情がほんの少しだけ変わった。俺が今からこの街を出て行くということに気付いたのだろう。

その時は少し贅沢をして、モモに加えて1つ3ルピーの焼き鳥を2つ頼んだ。そして全て食べ終わり、バックパックを担いで立ち上がった。俺は親父のところに行き、「あんたのモモは最高だったよ」と言って金を払うと、親父はいつもの無愛想顔で「あたり前だ」とだけいい、俺にお釣りを渡した。

渡されたお釣りを見ると、1ルピーだけ多かった。驚いて親父を見ると、いつもは目を合わせない親父が珍しく俺の目を見て、初めてニヤリと笑った。

<編集後記1>
このカトマンズ以来、俺はどこの国に行っても最低限の挨拶だけはその国の言葉で話すようにしている。

<編集後記2>
この後マレーシアで出会った男の子に親父のモモ屋を教えた。そいつはあまりのうまさに2週間毎日モモを食べ続け、腹を壊して入院したという内容の手紙が届いた。さらに、退院してからも1週間通ったらしい。

<編集後記3>
この旅を終えて俺が帰国した数ヶ月後、岡本君から1枚の絵葉書が届いた。「カトマンズの西にある小さな村にずっと滞在しています。ここで計画に協力してくれる人を見つけました。早速、この村から始めます」と書かれてあった。