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キャプテンコージの世界一周旅日記

避けては通れないもの

インド アグラ

地図パク達と別れた次の朝、俺はジョードプルからアグラに向かう列車に乗った。アグラはもちろんタージマハルが目的だったのだが、それに対する期待も興奮も全くなかった。別れの辛さのせいか、心細さのせいか、食欲もない。約18時間の長旅だと言うのに、列車の中では全く食べ物が喉を通らなかった。

アグラに着いたのは真夜中過ぎだった。食堂で無理やりカレーを食い、宿を探した。だが駅の周りにある宿は全て閉まっており、ドアを叩いても開けてくれなかった。俺はリキシャを捕まえ、5ルピーでどこか適当な宿に連れて行ってくれと頼んだ。

リキシャに揺られていると、気分が悪くなってきた。吐き気ももよおしてきた。だがなかなか宿が見つからない。リキシャのおじさんは宿を見つける度にドアを叩いてくれるのだが、大抵は無視されるか満室だと言われた。

ようやく宿に入れたのはもう午前3時を過ぎた頃だった。このリキシャのおじさん、2時間もの間、具合の悪い俺を心配しながらリキシャを引き、宿を探してくれたにも関わらず、文句一つ言わず追加料金も要求して来ない。ぼったくり王国インドでは信じられないことだ。俺はこのおじさんにインドの旅では最初で最後となるチップを渡した。たったの10ルピー(約30円)だったが。

具合が悪かったので、この日は奮発して120ルピーのシャワー・トイレ付きのシングルに泊まった。部屋に入るなりトイレに駆け込んで吐いた。そのままベッドに入って寝ようとすると、今度は腹が痛くなってきた。そこからはトイレとベッドの往復だった。下痢はインドを旅する者にとって避けては通れないものだとも言われているが、想像を絶するすさまじいものだった。

もう10回ほどトイレに行った後だろうか。ふらふらになってベッドに横になった。そして、あっと思ったときにはもう遅かった。。。泣きそうになりながら汚してしまったパンツを洗い、替えのパンツに履き替えた。

そしてその数分後、ベッドの上でふと気を緩めたその瞬間!んあぁぁ、、、なんとまたやってしまった。なんということだ。再び汚れたパンツを洗ったが、もう替えのパンツはなかった。。。

一睡もできないまま朝を迎えた。下痢は少し治まった。この街が合わないような気がしてきた。よし、アグラを出よう。バラナシへ行こう。俺はノーパンのままズボンを履き、まだ乾かないパンツを2枚、デイパックの外側に縛り付け、風になびかせながらアグラ駅へと向かった。

駅の外国人用窓口は長蛇の列だった。インドの鉄道の窓口は不思議なくらいに進みが遅い。順番を待っていると、また気分が悪くなってきた。よっぽど俺が弱った顔をしていたのだろうか、前に並んでいたカップルが心配して声を掛けてきた。その後長い付き合いとなる、カルロスとサンドラだった。

2人と話していると、彼等も次にバラナシへ行くと言う。俺1人では心細かったし、何よりとても素敵なカップルだったので是非とも彼等と一緒に行きたかった。1等のデラックスな車両で行く予定だった2人を、地元の人達が使う2等に乗ることが旅の醍醐味だとかどうとか知ったようなことを言って説得し、俺の思惑通り、一緒に2等で行くことになった。

写真翌日の切符が取れた。俺は既に宿をチェックアウトしていたので、彼等の宿に入ることにした。彼等はそのままどこかに行く予定だったのだが、俺を宿まで送ってくれた。その日はずっと部屋で死んでいたのだが、夜になってカルロスが差し入れてくれたバナナとヨーグルトを食べたらちょっとだけ復活した。

次の日、インド観光の目玉であり、世界遺産にも登録されている、タージマハルに行った。タージマハルは、何世紀も前の皇帝が亡くなった奥さんの死を悼んで何万人もの職人を使って何十年もかけて造った白大理石の大廟墓で・・・と、確かに凄い建造物なのだろうが、感激も何もなかった。むしろこの汚いインドにあってこれだけピカピカの綺麗な建物は、少し興醒めな感がした。トイレが見当たらず不安だったので、俺はさっさと出てしまった。

その日の夜、カルロス&サンドラと俺はバラナシ行きの列車に乗った。インドの列車はとにかく泥棒が多く、特に夜行列車ではかなりの確率でやられると言う。俺達はホームで知り合ったクロアチア人とイタリア人のカップルと外国人チームを作り、一つの寝台部屋を確保した。

カルロスとサンドラは主にスペイン語、もう1カップルはイタリア語、全員で話すときは英語での会話だった。その頃の俺の英語はひどいもので、なかなか会話に入ることもできなかったのだが、とにかくその夜は楽しかった。これだけインターナショナルな空間にいることがとても嬉しかった。この時、もっと英語を話せるようになりたいと生まれて初めて本気で思った。

次の日の朝起きてみると、一番下のベッドで寝ていたカルロスの手荷物用のバッグが消えていた。彼は着ていたシャツの胸のボタンとバッグの手提げ部分を南京錠で繋いでいたのだが、そのシャツのボタンの糸を綺麗に切られ、南京錠とバッグを取られていたのだった。俺は2等車両なんかに誘ってしまった責任を感じたが、当のカルロスはその見事な手口に感心していた。

そして俺達はヒンドゥー教の聖地、バラナシへと着いた。