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キャプテンコージの世界一周旅日記

スペシャル・バースデー

地図エクアドル キト、オタバロ

俺の初めての一人旅の中で最も辛い時、インドのアグラ駅で死にそうになっているところを助けてくれたカルロスとサンドラ。カルロスはエクアドル人の弁護士で、サンドラはエクアドルで英語学校を経営しているイギリス人。キャリアもあり、自由もあり、幸せな人生を生きている俺の理想のカップル。

インドで出会った次の年、俺は彼等に会いにエクアドルに行く予定だった。その時はエクアドル、ペルー、ボリビアと旅する計画を立てていたのだが、直前に起きたペルーの日本大使館人質事件のおかげで実現できなかった。その代わり、同じ年の秋にカルロスとサンドラは日本に遊びに来た。あれから4年、ようやく俺は約束通り、エクアドルに来ることができた。

キトの空港で再会を果たし、そのまま2人のマンションへ。閑静な住宅街、丘の上に建つ素敵なマンションだ。部屋の中は世界各国で手に入れたと思われるインテリアや置物、本、CDで溢れていた。その中には俺の親父手作りの和凧もあった。そしてサンドラが部屋着として着ていたのは、原宿で一緒に買った浴衣だった。

写真次の日から、昼は1人で旧市街を散歩したり美術館に行ったりして過ごし、夜はカルロス&サンドラとサルサ・クラブへ踊りに行ったり、彼等の友達も呼んでパーティをしたりして過ごしていた。そして週末がやって来た。

2人に誘われ、オタバロというところに小旅行に行くことになった。そこは優れた民芸品で世界的に有名な、オタバロ族のマーケットのある街だ。キトから2時間ほどで到着し、マーケットのある広場に行った。そこは民族衣装に身を包んだインディヘナの人々が、色とりどりの布やニット、アンデスならではという雑貨や楽器などを売る店で溢れていた。

夕方になり、近くにおいしいフレンチのレストランがあるというのでそこを探した。カルロスが友達に教えてもらったのだと言う。ほどなくしてそのレストランは見つかった。ログハウスのようなかわいらしい作りの、テーブルが4つしかない小さなレストランだった。

ビールで乾杯し、料理を注文した。メインにカルロスと俺はフィレ・ミニョンのステーキを、サンドラは白身魚の料理を選んだ。こんな山奥、おいしいと言ってもたかが知れているだろう。と思って食べたら大間違いで、驚くほどの味だった。分厚いステーキこの上なく柔らかく、ソースも素晴らしい。

写真その日の客は俺達しかいなかったせいか、食事の途中にシェフが出てきて一緒に話をした。初老のフランス人だった。聞くと、彼は以前ヒルトンホテルで総料理長をしていたと言う。たまたま旅行に来たエクアドルのここオタバロで、1人のインディヘナの女性と恋に落ち、そのまま彼女と結婚してここに住んでいるのだと言う。

料理のおいしさもそれで納得だ。大満足のディナーを終え、お会計をした。なんと、18ドル。(エクアドルの通貨は米ドル)ビールもワインも飲んで、前菜もメインも食べて、しかも元ヒルトンの総料理長の味で、全部で18ドル、1人たったの6ドルなのだ!エクアドル人のカルロスもびっくりの値段だった。

再び広場に戻ると、お祭りをやっていた。たまたまその日は年に1度のオタバロ祭りだったらしい。広場には屋台がびっしりと並び、舞台の上ではインディヘナの楽団がフォルクローレのような民族音楽を演奏していた。なかなか生で聞けるようなものではない。何から何までラッキーだ。

そこからまた車に乗って山を登っていくと、小奇麗な山小屋が現れた。そこがその日の宿だった。カルロス&サンドラが大好きな宿で、オーナーとも親しいと言う。まず2人の部屋に行き、しばらく暖炉で薪を燃やしながらワインを飲んでから俺は自分の部屋に戻って寝た。

・・・・・

写真「ハッピー・バースデー・トゥー・ユー、ハッピー・バースデー・トゥー・ユー、ハッピー・バースデー・ディーア・コージー、、、ハッピー・バースデー・トゥー・ユー」

次の朝、俺は外の歌声で目を覚ました。ドアを開けると、カルロスとサンドラが「ハッピーバースデー!」と叫んで拍手をしている。すっかり忘れていた。その日は9月9日、俺の誕生日だった。「どうして?なんで知ってるの?」と聞くと、「俺は記憶力がいいのさ」と言ってカルロスがウインクをした。

部屋の外に出てみると、目の前にはたくさんの花が咲く広い庭があり、その向こう側は緑が続き、先の谷にはオタバロの街が小さく見えた。そしてそのずっと向こう側には、雪を頂いたアンデスの5000m級の山々が連なっている。そんな素敵な宿でゆっくりと朝食を取り、庭で子犬達と遊び、ハンモックに揺られてタバコを吸い、優雅な朝を過ごした。

昼近くになって俺達は宿を後にした。しばらくドライブをした後に着いたのは、広大な敷地の中に教会やコテージ風のホテル、レストランやスパがあり、それぞれを花に囲まれた小道が繋いでいるという、とても雰囲気の良いリゾート施設だった。レストランに入り、窓際のテーブル席に案内された。ふと庭を見ると、なんとそこには日の丸の国旗がたなびいているではないか!その両脇にはエクアドルとイギリスの国旗もある。またしても2人の粋な計らいだった。

写真キトに帰ったその日の夜、カルロスの従兄弟のホセと一緒に新市街のディスコへ出かけた。店内は若者で溢れ、巨大なスクリーンにはサイケデリックな映像が映され、ラテンのリズムにソウルをミックスしたような音は俺好みで、酒も進んで気分良く踊っていた。すると、奥に座って飲んでいたとんでもないオーラを放つ超美人と目が合った。彼女は微笑み、俺に向かって手招きをして来た。「俺のことか?」と自分を指差すと、また頷きながら手招きをする。

半信半疑のまま彼女のところに行くと、「ニホンジン?」と日本語で話してきた。「日本語が話せるの?」と俺が驚いて聞くと、「スコシネ」と答える。彼女はコロンビア人のモデルで、今回は撮影のためにエクアドルに来ているのだと言う。日本語を話すのは、おじいさんが日本人のクオーターだかららしい。だがすぐに彼女の日本語は限界を迎え、スペイン語での会話となったのだが、俺のスペイン語だってたかが知れている。早々に話すことがなくなった。

しばらくほとんど通じない会話が続いた後、彼女は「そろそろ帰るわ」と言い、俺のほっぺにキスをしてディスコを出て行った。あまり話せなかったのは残念だったが、最後にとびっきりの誕生日プレゼントをもらうことになった俺は幸せいっぱいだった。しきりと羨ましがるホセを見るとますます気分が良かった。

そうしてエクアドルでの楽しい日々は瞬く間に過ぎ、カルロス&サンドラと別れ、キトの空港に向かった。2001年9月11日の早朝、そう、あの歴史に残る、悪夢の日の始まりだった。

(写真上左:オタバロ族の紳士 上右:カルロス&サンドラ&シェフ 下左:ラ・ルーナからの眺め 下右:男の子)