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キャプテンコージの世界一周旅日記

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自由という名の街

ブラジル サンパウロ

地図南米最大の都市、サンパウロ。人口は東京よりも多い約1,500万人。ブラジルの経済、文化の中心でありながら、同時に失業率や犯罪率も極めて高く、危険な街でもある。

日本とは地球の裏側に位置するブラジルに、約100年前に農業移民として日本人が移り住んだ(19世紀の終わりに奴隷制を廃止したブラジルでは、コーヒー農園での労働力が不足し、日本からの移民を受け入れた)のを始まりに、現在では約130万人もの日系人が住んでいる。そしてその大部分の人達が生活しているのがここサンパウロだ。

リベルダージ地区には、世界でもロスとここにしかない日本人街がある。今でこそ東洋人街と呼ばれているが、元々あった日本人街に中国人や韓国人の移民が集まってきてそうなったらしい。大きな鳥居がどかんと立つ商店街には、ちょうちん型の街灯と、日本語の看板を掛けた日系人の商店や食堂がずらっと並び、歩いている人の多くも日系人だ。定食屋からは数十年前の演歌が流れてくる。そこにはまさに日本があった。

写真食堂で日系人のおばさんと同じテーブルに座った。ブラジルで生まれた日系二世で、ポルトガル語訛りのきつい日本語だった。日本には一度も行ったことがないと言う。行ったみたいかと聞くと、「そりゃ行ってみたいけど、住むのはここがいいや。ここは皆明るくていいよ。気持ちがいいや」と笑いながら答えた。

屋台のシュラスコ(肉の串焼き)屋によく通うようになった。日系一世のおじちゃんと、韓国系一世のおばちゃん夫婦で切り盛りしている店だった。

このおばちゃん、とにかくハイテンションで底抜けに明るい。すっかり馴染みとなった俺の姿を見つけると、どんなに遠くからでも「おーっ!」と叫びながら両手を大きく広げて道の真ん中で俺を迎えてくれる。俺がウズラを注文すると、「ウズラおいしいねー、女と一緒ねー、女もおいしいねー」と言いながら、足を開いて丸焼きにしたウズラをこっちに向け、おばちゃんまで手足を開いて笑った。

俺が勘定を払おうとしているとき、隣を通り過ぎた綺麗な女の子を見ていると、おばちゃんはそおっと俺の耳元で「ブラジルの女、キレイねー、お兄さん、女好きねー、ワタシ、お金好きねー!」と言って俺から代金を取った。

おばちゃんはいつもそんな調子で客にギャグを飛ばしたり、道行く人に声を掛けたりしている。そこを通るだけの人も毎日顔を合わせているおばちゃんと話すときは笑顔になる。その店の周りはいつも笑顔が溢れ、ウキウキするような空間になっているのだ。俺はそんなおばちゃんや周りの人達の様子を眺めながらビールを飲むのが大好きだった。

写真その夫婦はもう20年も同じ場所で店を出しているのだと言う。人種も言葉も異なる国に移り住み、生きていくというのはどれほど厳しいことだろう。そしてそこで根付き、人に認められるのはどれほど大変なことだろう。

南米にはたくさんの日系移民が住んでいる。ペルー、ボリビア、パラグアイなどにもここサンパウロほどの規模ではないにしても、日系人が多く住んでいる地域はある。彼等はやはり同じように何十年も前に、新境地を求めて南米大陸にやってきた。だが、現在の彼等の社会的地位というのは決して高いとは言えない。

ペルーとエクアドルの国境で、日系二世の若いペルー人の男と会ったことがある。イミグレーションオフィスで役人ともめているところだった。どうしたのかと聞いたところ、パスポートに問題があって国境を越えられないとのことだった。彼は俺に「僕はペルーから逃げ出したいんだ」「日本に行って働きたいんだけどどうすればいいか分からない」と言ってきた。また、俺が今からペルーに入ることを言うと、「君は日本人だろ?どうしてそんな幸せな国からこんな最低の国に来るんだい?」と聞いてきた。

南米は欧米などに比べれば日本人に対する差別を強く感じることはないが、社会には明らかに差別が存在する。だがここブラジルでは、少なくとも俺が感じる限り、差別というものは存在しないのではないだろうか。日系人に限っては、差別がないどころか、ブラジルの中で立派な社会的地位を確立して、尊敬さえされているような気がする。

毎週日曜日になると、駅前の広場で“東洋市”が開かれ、それはサンパウロの名物にまでなっている。「はい、いらっしゃいませー!」という声が飛ぶ中、観光客や日系人、たくさんのブラジル人でごった返す。多くのブラジル人が、毎週日曜日の東洋市が楽しみだと言っていた。そして普段も東洋人街は決して東洋人だけの街ではない。ブラジル人もアジア食材を買い、ラーメンを食べ、カラオケを歌っている。自然に調和しているのだ。

写真ある日宿の近くからドラムと笛の音が聞こえて来たのでその方向へ行ってみると、広場でちょっとしたお祭りをやっていた。広場はたくさんの人でいっぱいになっており、出店も出ていた。人混みの中で踊っている人もたくさんいた。

そこに、ひたすら拾った空き缶を足で潰しては大きなビニール袋に集め回っている7,8歳くらいの女の子がいた。きっとそれは彼女の仕事で、集めた缶をどこかに持っていくといくらかの金になるのだろう。服はボロボロ、顔は汚れて真っ黒だった。

だがその子はずっと楽しげな表情をしていた。お祭りでたくさんの空き缶が拾えるからだったのだろうか。陽気な音楽がかかっていたからだろうか。その子は俺と目が合うと、拾い集めた空き缶を5個ほど俺の前の地面に並べて立て、パンパンパンパンパン!と連続で全てを見事に潰した。そしてまた俺の方を見上げ、「ふふっ」という得意気な顔をした。その後も音楽に合わせて踊るように人ごみを掻き分け、空き缶を拾っていた。

俺は出店でピザを頼んだ。待っている間、その店で働いている黒人の兄ちゃんが話しかけてきた。他の客や店の主人に何度も呼ばれながらも、ちょくちょく俺のところにやってくる。「お前、どこから来た?」「日本からだよ」「まあなんだっていいや。どこから来たかなんて関係ねぇ。ここはブラジルだ。ブラジルでは皆が同じなんだ。皆が自由なんだ。最高だろ?」その時また主人に「おいっ!早く運べって言ってるだろが!!」と怒鳴られた。そいつは笑いながら俺に向かって右手の親指をぐいっと立てた。俺も同じように親指を立てた。「オイッ!!」そいつは主人のところにすっ飛んでいった。

ブラジルにこれだけ移民が多いのが、何となく分かってきたような気がした。日本や欧米などとは明らかに異なる価値観がそこにはあり、明るく今を生きる人々の笑顔が真の自由を感じさせてくれる。

もう100年近く前に日本人の移住が始まってから現在までに、どれほどの苦しい道のりがあったことだろう。だが日系人達はそれを乗り越え、ブラジルという国にしっかりと定着した。そして彼らが築き上げた日本人街があるのは、リベルダージ、、、そう、ポルトガル語で“自由”という名の街だった。

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