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キャプテンコージの世界一周旅日記

黄金ルート【後編】

ボリビア ラパス、ウユニ

地図ラパスの宿に着いて早々俺の目に飛び込んできたのは、見慣れたアシックスのジャージだった。後姿だったが迷わず俺は叫んだ。

「田中ジャージ!」

ペンション八幡で一緒だった、田中ジャージ(いつも「田中」と刺繍の入ったジャージを履いていたため、俺がこう命名した女の子)がそこにはいた。俺より一足先にクスコを出たのだが、急ピッチで進んできた俺が追いついてしまったのだ。

写真クスコ、マチュピチュからチチカカ湖、さらにラパスからウユニ塩湖までは、南米の中でも比較的短い距離に見所が詰まっているため、卒業旅行の黄金ルートになっている。そこを多くの学生が同じような日程で進むため、一度重なって気が合えば、一緒に旅をしていくことになる。そんなわけで田中ジャージの他にも八幡メンツが何人かそこの宿にはいた。もちろんその日は久々の宴会となった。そして、俺も彼らと一緒にウユニに行くことになった。

まずラパスを出た俺達は、バスでオルーロへ向かった。オルーロは南米の三大祭り(リオ、クスコ、オルーロ)の一つとして有名なのだが、街自体はなんてことのない平凡な街だった。

写真オルーロから列車に乗ってウユニへ。ウユニに着いたのは夜中の2時を回っていたのだが、ホームを出た俺達はあっという間に宿の客引き達に囲まれてしまった。あちこちから「20ボリビアーノ!」「うちは15ボリビアーノ!」と声が掛かる。逆競り(セリ)状態だ。俺達を競り落とした宿に向かうと、今度は塩湖ツアーの代理店の客引きに囲まれた。なんと奴らは宿の中まで付いて来た。あまりにしつこいので、「今日はもう眠りたいから明日の朝決める」と言って追い返したのだが、次の朝起きてみたらまた奴らは俺達の部屋の前まで押しかけていた。再び逆競りが始まった。結局俺達はジープを超格安でチャーターすることができた。

その後水と食料を調達し、ジープに乗り込んだ。さあ、ついに、憧れのウユニだ。しかしもうここ数日雨は降っていないらしい。水よ、お願いだからまだ残っていてくれ!祈りながらウユニ塩湖へと向かった。

街を出て数十分も走ると、ウユニ塩湖に入った。そこはまさに一面の塩。真っ白い塩の大地が果てしなく広がっていた。遠くに見える山々が、白い大地の上にぽっかりと浮かび上がっているように見える。期待の水は、残念ながらあまり広い範囲では残っていなかった。だが、所々水が残っている部分では、青い空や雲がそのままの色で大地に映し出されている。

写真塩湖はどこまでも白かった。そして塩の粒子が光を反射するのか、地面のあちこちがキラキラ光っている。そこをジープで走ると、その光がいくつもの細い線になり、まるで光の中を飛んでいるような気分になる。

塩湖の中にポツリと存在するイスラ・デ・ペスカド(魚の島)に着いた。一応地面の上にあるので“丘”か“山”じゃないかと思うが、湖の上ということで島と呼ばれている。この島の大部分はごつごつした岩と砂でできていて、さらに最大高さ12mという巨大なサボテンが無数に生えており、真っ白い世界の中にあってグロテスクなムードを漂わせている。

島にある小さな山に登った。途中島と塩湖の境目を見下ろすと、白い水の穏やかなビーチのように見えた。そして頂上まで登って回りを見渡すと、今度は雲海の上に突き出している山の頂上にいるような気分になった。そこでジャンプした瞬間の写真を撮ると、まるで空を飛んでいるみたいだと言うことで、みんな夢中になってその写真を撮ろうと頑張った。(今になって思うが、普通に塩湖の上でやっても同じ写真が撮れるんじゃないか?)

魚の島から折り返し、塩のホテル(建物もベッドやテーブルなどの家具も全て塩で作られたホテル)の前で夕陽を待つ。だんだんと地面に落ちる影が長くなってくる。大地が少しずつ暗くなり、遠く山の斜面が色付く。そして、白い地平線に、太陽が沈んだ。薄くオレンジ色に染まった雲だけが残った。

再びジープを走らせ、帰路についた。途中水の張ったところを走っている時、ふと西の方向を振り返ると、そこには目を疑うような世界が広がっていた。慌てて車を止めた。すでに暗くなった空の所々に広がる雲はピンク色に染まっており、それらが塩湖の上に張った水に映し出されて、視界の全てが夕焼けになっているのだ。みんな言葉を失ってその光景を眺めていた。

その日が八幡メンツ最後の夜となった。次の日はラパスに戻る者、チリに抜ける者、アルゼンチンへ向かう者とそれぞれ別れて行った。そして俺は1人ウユニに残った。さて、次はどこに行こうか。

写真