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エクアドル キト、リオバンバ ペルー
キトでの生活は楽しく、居心地のいいものだった。マックスファミリーや多くの友達に囲まれ、知り尽くした街を歩き、馴染みの店で飯を食い、自分の部屋のベッドで眠る毎日。だがそれは同時に、刺激のない日々とも言えた。それを意識した時、俺はキトを去る決心をした。
最後の数日は別れの連続だった。8年前のインド以来、これまで多くの旅をしてきたが、この”人との別れ“だけは決して慣れることができない。最後の瞬間、本当はもっと伝えたいことがたくさんあるのに、気持ちがいっぱいになってしまってうまく言葉にすることができない。
特に今回は2ヶ月以上もの日々を過ごしたキトの友人達だ。皆口を揃えて「次はいつ帰ってくるんだ?」と聞いてくる。「3年後かな、5年後かな」と答える。実際俺はガラパゴス諸島とコトパクシ登頂の二つをやり残した。そうしてまたここに戻ってくる理由を作り、それを自分に言い聞かせないととても去ることなんてできそうにもなかった。
キトを発った俺は、南へ4時間ほどのリオバンバという小さな街に着いた。キトとはうって変わって、暗く、汚い街だった。俺はその街の暗く汚い食堂で一人飯を食い、暗く汚い安宿で一人寝た。キトが恋しかった。
リオバンバに来た目的は、”Nariz
del Diablo”(「悪魔の鼻」という山)を通る列車に乗ることだった。これはただの列車ではなく、世界でも珍しい、屋根の上に乗ることができる列車なのだ。
朝の7時にリオバンバを発った列車は、車両の中はガラガラだが屋根の上は観光客でいっぱいだった。今にも崩れてしまいそうなオンボロ列車は、「んぎぎぎぃぃぃ、がらがら、どんどん、きぃぃぃーー」と悲鳴をあげながら発車した。
アンデスの渓谷の眺めは素晴らしく、カーブの連続を走るオンボロ列車の屋根というのもなかなかスリルのあるものだったし、線路の上に大きく垂れ下がった木があるところでは先頭の係員が皆に頭を下げるように注意してそれを避けたり、物売りが屋根の上に登って来て売り歩いたり、線路脇の家からいたずらっ子が水風船を屋根の上の乗客に投げてきたりと楽しい出来事もたくさんあったのだが、俺の気持ちはずっと晴れないままだった。
終点の駅からバスに乗って夕方またリオバンバに戻り、宿に預けておいた荷物を取ってバスターミナルへと向かう。ペルーとの国境の街、ウアキージャス行きのバスが9時にあったので、それに乗ることにした。数年前にあったエクアドルとペルーの国境紛争の影響だろうか、バスに乗る時も途中の検問所でも何度か厳しい荷物検査やボディチェックがあった。
翌朝の6時頃ウアキージャスに着き、歩いて国境を越えた。「ペルーへようこそ!」と書かれた爽やかなゲートの向こう側は、爽やかとは程遠い異様な世界だった。まだ夜も明けておらず辺りは暗いのだが、異常なくらいに多くの黒い顔をした怪しい人間達がそこにはいた。闇両替屋、闇タクシー、宿の客引き、麻薬の売人、その他とにかく闇っぽい人間達がうじゃうじゃしている。
エルヴィスノート(日本人バックパッカーとして最も有名なエルヴィスさんが世界各国を旅して作った情報ノート。日本人宿の多くにはそのコピーがあり、「地球の歩き方」はもちろん、「旅行人ノート」よりもその情報量と正確さにおいて上回っている)にも“悪の巣窟”と書かれていたが、まさにそんな雰囲気だ。そしてその時間国境を越えている外国人は俺ただ一人。皆が獲物を狙うような目をして俺に寄って来る。闇両替屋達のレートは良かったのだが、まだニセ札の見分け方も分からない俺は最低限の金額だけを両替し、ペルー人の客を捕まえていたおじさんのタクシーに同乗して、国境近くのトゥンベスという街に向かった。
ペルー北部ではプレ・インカの遺跡で有名なチクラヨ(シパン遺跡、シカン遺跡)やトルヒーヨ(チャチャン遺跡)に寄ってからリマに向かおうと思っていたのだが、なぜかそんな気分にはなれず、直接リマ行きのバスに乗った。約20時間のバスの旅だ。
トゥンベスを出たバスはパンアメリカンハイウェイをひた走り、しばらくすると海に出た。右手には白い砂浜が延々と続き、太平洋が果てしなく広がっている。この海の向こうには日本がある。俺の祖国、愛すべき日本。だが俺はこの時、無性に日本を恋しく思うのと同時に、これまでにない程日本を遠く感じていた。
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