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フィンランド サーリセルカ、ヘルシンキ - エストニア タリン - アメリカ ニューヨーク
一つの夢を実現した俺はその次の日、フィンランドに向けてアビスコを発った。何の計画もないジュリアンはやはり俺に付いてきた。スウェーデンからフィンランドへはストックホルムとヘルシンキを結ぶ豪華客船(シリアラインとバイキングライン)のルートが最もメジャーで、ガイドブックにもそのルートしか載っていないのだが、フィンランド北部でもう一度オーロラを、今度は違う色のオーロラを見たいと思った俺は、スカンジナビア北部を陸路で移動するルートを取った。
どこを調べてもそのルートの確認はできなかったのだが(ツーリストインフォーメーションでさえ分からなかった)、道は必ず繋がっているものだ。一日か二日あればフィンランド北部のオーロラスポットであるサーリセルカまで行けるだろう。と高をくくっていた。だが、冬のラップランドの移動はそれほど甘くはなかった。
アビスコを出てフィンランドとの国境方面に向かう最初の列車は正午少し過ぎだった。国境の街、パパランダ行きのバスが出ていると聞いたルレオーに着いたのは夕方の6時頃。だがこの時期のラップランドの6時というのは夕方ではなくもう深夜である。既に最終のバスは出た後だった。仕方なくルレオーで一泊し、次の朝一番のバスでパパランダに向かった。
パパランダから国境を歩いて渡ってフィンランド側のトルニオに行くと、そこからサーリセルカまでの直通バスはなく、数時間後に途中の街、ロヴァニエミまで行くバスだけがあることが分かった。
トルニオのバスステーションで、地元の高校生達からもの凄い注目を浴びながら(アジア人なんて滅多に見ることがないのだろう)バスを待ち、ようやく乗ったバスがロヴァニエミに着いた頃には既に日が暮れていた。
ロヴァニエミで雪の中1時間程歩いて宿を探し、一泊して次の朝ロヴァニエミ近くのサンタクロース村から家族にクリスマスカードを送り、さらにそこからまたバスに乗ってサーリセルカに向かった。途中野生のトナカイの群れを見ることができた。そしてサーリセルカに着いたのはまたしても夜だった。結局アビスコから丸々3日もかかってしまった。
サーリセルカのキーロパという村で2泊したが、オーロラのオの字も見えず、俺は諦めてジュリアンと別れ、フィンランドの首都、ヘルシンキに向かった。
ヘルシンキからフェリーでバルト海を渡り、エストニアのタリンに行ってみた。バルト3国はどこも寒くて暗くて貧しい国なんだろうと勝手に想像していたのだが、タリンの旧市街はカラフルでかわいらしい建物が並び、観光客で賑わう明るい街だった。
ヘルシンキに戻っても特に何もすることがなく、最後のヨーロッパを贅沢な気分で過ごそうと宿で料理に励んだ。
振り返れば物価のクソ高い北欧ではろくな食事をしていなかった。昼頃に朝食を兼ねてパンとチーズを食べ、夜はパスタを茹でてガーリックやポテトチップスなどを和えて食べる。俺はスーパーで大好物のスペイン産生ハムと数種類の野菜やマッシュルーム、クリームスープの素を調達し、朝食兼用のランチは生ハムとチーズをはさんだサンドイッチ、夕食には野菜とマッシュルームをじっくり煮込んだホワイトクリームパスタを食べ、優雅な食事を堪能した。
ついにヨーロッパを離れる日がやってきた。次の目的地、南米エクアドルの首都キトへの乗り継ぎのためにヘルシンキからニューヨークへ飛んだ。ニューヨークでは前の会社の先輩の桜さんの家に泊めさせてもらうことになっていた。桜さんには俺がニューヨークに行く度にお世話になっている。
その晩は桜さん、NY在住のwajaバイヤーのフキコ(239EAST)と一緒に、夢にまで見た焼肉(本当に何度も焼肉の夢を見た!)をコリアンタウンで食べ、ロックフェラーセンターのクリスマスツリーのイルミネーションを見て、ブルックリン・ハイツ・プロムナードから対岸のマンハッタンの絶景を眺め、桜さんの家では奥さんから出汁の素、焼き海苔、ゴマ、梅干し、カレーのルーなど涙が出る程嬉しいプレゼントをもらい、楽しい時を過ごした。
今朝まで極寒の北欧フィンランドにいた俺が、今は超大都会のニューヨークにいて、明日は赤道直下の南米エクアドルにいる。これ以上ないといえるほどの大きな変化だが、それもまたおもしろい。エクアドルではスペイン語を学びながらゆっくり2,3カ月滞在する予定だ。
旅はしばらく休憩となり、新たな生活が始まる。その新しい世界への期待に興奮しつつ、俺の旅の前半戦が終わる。
旅情報
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